西へ向かう

 
生かされていると思う。
生きているというより、生かされていると。
蜘蛛の糸が首の後ろからのびていて、上から吊るされているように思う。糸の先にはいつも、祖父を感じる。この世界の繋がり、蜘蛛の糸を自ら絶った彼によって私はこの世界に生かされている。オカルトでも神格化でもなく、自分の身の回りに起こる事象の中で実感する。
寿命まで、生きる喜びを、死なない理由を、這いつくばってでも見つけ続けることを課せられている。まだ駄目だと声が聴こえる。
 
西へ行きたいと願った矢先、灯台の灯が道を照らした。道の先から、渡っておいでと声が聞こえる。行き着く先がそこでなくても、眼前には紛れもなく新しい道が現れている。
 
祖父は名古屋で逝った。
最期へと向かう時間の中、どこを歩いたのだろうか。少し足を伸ばして他の地を踏んだのだろうか。それとも名古屋の街を彷徨い歩いたのだろうか。どんな景色を見たのだろうか。車窓に、ホテルの窓に、瞑った瞼の裏に、何を。
思いを馳せずにはいられない。会ったことすらない人。それでも強く感じる人。
なぜ、こんな景色を見せてくれるんだろう。見たかった世界を、私を通して見ているだろうか。
 
私は祖父のように多くを抱えていない。
内界を優先し、限られたものしか持たない。
1人の未来を見つめる。
例え傍らに他者が在ろうとも。
 
1人生きていく地が、また移り変わるのだろうか。どこに流れ着くんだろう。根無草よろしく漂い続けて、枯れるまで土を夢見続けるのだろうか。
 
人生の折り返し地点を曲がろうとしている。
内側から欲する地に自分の人生の駒を進めようとする緩流が、足元に起こり始めている。
 
「次に来る波をむかえにゆきなさい尾を高くしてわたしのけもの  村上きわみ」
 
 
西に向かう新幹線でこれを書いている。
もう直、名古屋を通り過ぎる。
空は灰色の曇天。予報では今日、雪が降る。

肥大化する

短命だった梅雨が終わり、燻ぶるように続いた雨が上がり、夏の後ろ髪を残しながら中秋の名月が昇った。
残暑と呼ぶには夏色が些か濃いような気がするが、日が落ちてから吹く風はススキのさざめく音がするようで。
季節が、容赦なく進む。
 
ここ1ヶ月ほどの間、生きることの難しさと単純さの狭間でかつてないほど揺れ動いた。
 
未だに曖昧な日々を過ごしている。
「これでいいのだ」と「これでいいのか」のせめぎ合いを、眼鏡を外したぼやけた視界で見やりながら、眠りで蓋を閉じるような日々。
ブヨブヨとした球体の中に、少し酸素の足りない状態で寝転がっているような感覚。明日の自分を緩やかに削りながら浅い呼吸をしている。
 
それでも、日常は奇跡に満ちている。
驚くほど、俯瞰的に見た世界は順調に進んでいる。
こんなにも全てを曖昧にして、己への責任を緩やかに放棄し、それでいて如何なる飢えもない。
 
これが「普通」の世界なのかもしれない。
涎が滴るようなハングリー精神を持たなくても飢えない。足りないものが何もない。
 
満足が膨張している。
惰性と怠慢と諦念が肥大化して飲み込まれそうだ。
膨張して自分の足元が見えないから、周囲の有象無象に意識と感情を持っていかれる。
何にも集中できない。集中していなくても十二分に肥えているから。私は私が飢えないことを既に知っている。
飢えることに怯えながら、心の底では肥えた自分に満足している。
 
どうやって抜け出せばいいのだろうか。
私は今、紛れもなく、自分のアイデンティティが存在しない世界にいる。
 
2ヶ月前、茹だる様な暑さの中、琵琶湖の畔で36歳の誕生日を一人迎えた。
36歳はこういう年齢なのか。
今までのどの年齢とも違う。成長痛とは違う鈍痛が、私を覆っている。
 
 

辻褄

30代で自分と向き合わないと、40代で辻褄が合わなくなる。
ポットキャストのキャスターの言葉が、魚の小骨のように刺さっている。
 
思えば、ずっと辻褄が合っていなかった。
辻褄を合わせるために、あれもこれもしていた。
 
自分の中にある社会への不適合さを、肯定するものを欲していた。
恥ずかしながらこの歳になっても、「ねぇ、わたし間違ってないよね?これで合っているよね?」と突然湧き上がる不安と恐怖と疑問に打ち勝てない。
この辻褄が合っていない世界にいつも溶け込めない、圧倒的孤独感が拭えない。
わたしは病んでいる、と何度思っただろう。でも残念ながらこれは病みではない。持って生まれた性格なのだと、より一層深く絶望する。エゴでさえない。わたしは常に恐ろしいと思っている。金があってもパートナーがいても、このべっとり張り付いた恐怖心は消えることなどないと、35年間で嫌というほど思い知らされた。
 
安心が存在しない人生を生き続けなければならない。
この辛さを、誰かにぶつけられるほど愚かにもなれない。
 
 
40代が見えた今、これ以上何をしたら良いのか見えない。
 
どれだけの人を踏み台にしたのだろうか。踏み絵だって喜んで踏んだ。自覚している。
沢山の人がいたはずなのに、誰もいない。当然だと思う。誰の手も取らなかったし、追いかけなかったし、愛しまなかった。
誰も愛さなかったことに、35歳まで気付かなかった。支配欲と独占欲と承認欲と愛の区別が未だにつかない。
 
両親に感謝するべき容姿をもって生まれた。カテゴリーは中の中、一番不幸になりやすいと揶揄されるレベル。
努力は容姿のお陰にされ、妬み嫉みは無駄に引き寄せ、哀れな女レッテルは容姿によって強固なものになる。恩恵がなかったとは言わないが、幸せと不幸の割合で言えばぶっちぎりで不幸が勝る。
この歳になっても、未だに世間はこの中途半端に老いた小綺麗な顔を許してはくれない。
 
「頼むから、男も女も、ほっといてほしい」
この願いを叶えるのは、この国では唯一、東京だけのように思う。
何もかも飲み込むくせに、そこら中に鏡があるような場所。あちこちにいる自分を映したような他人。同族嫌悪。
でもみんな、気が付くと放射線状に散り散りに歩き出していて、気付くとぽつねんと一人。
何も持っていなかった私は、何も持たないまま、ただ時の流れるまま、ひとり。
 
続ける強さも曲がらない意思も降りる勇気もない。せめて信じる心さえあれば良いのに、欠片も持ち合わせていない。
子供を産めば変わると言う人は愉快だと思う。この成れの果てを見て、自分の腹から負の連鎖を産み出す恐ろしさを想像だにしないのか。
 
 
辻褄が合っていない。
辿り着いたここは分不相応で、これから自分が前に進もうとする道すべてが分不相応なことも知っている。
ふとした瞬間に猛烈に自覚するこの感情が、また恐怖を増長させる前に、プライドに似た何かで覆い隠す。誰かより劣っていない場所を言語化して声高に叫ぶ。わたしはここにいるべき人間なのだと他人を通して自分に向かって叫ぶ。傍迷惑な中年に成り下がったものだ。成り下がった?違う、わたしは元々、この底辺で生まれ死んでいく人種だった。今ここにいる事実と、辻褄が合っていない。
 
次に進む道が見えない。でも見つけないと。
自分を納得させることが、生きるために必要な要素だから。
生きねば、せめて親よりは長く。

35歳を生きている。

寒い。なんでこんなに寒いのか。
 
こんなにもマフラーに顔を埋めウールのコートを着込まなければ外出できない冬将軍の独壇場が続く世界において、隙間から微かに吹き込んでくる春の息吹を感じている。
あぁ、こんな季節の変わり目を空気という不確かな存在で感じとるようになったのか、と感慨にふける。
春の匂いだとか秋の空だとかが、概念上ではなく現実に存在していると、今日の私は確信している。
 
35歳を生きている。
 
何となく色々なことに対して肩の力が抜けている。
肩といえば肩凝りがひどい。凝りといえば腰痛も出てきた。
腰といえば一生消えることがないと思っていたくびれの輪郭がぼんやりとしている。
輪郭といえば顔の輪郭もてろんとしている。
顔といえば肌は確実に弛みを見せている。
弛みといえばほうれい線がしっかりと形状記憶されている。
 
「おぉ、これは『老い』だ」と感嘆する。
 
感嘆している場合じゃないんだが、いちいち素直に感嘆する。
35歳にとって、本物の老いはまだ目新しい存在だからだ。
 
30歳が曲がり角だとか世間では言われるが、『本物』は34歳に来た。
明らかに今までと異なる何かが、己の体に起きる。
「まじBBA~」のセリフが言えなくなる。本物になるからだ。
34歳の私が己の体の内から湧き上がる見たことも無い老いに狼狽えている最中、「スタンフォード大学の研究チームが『ヒトの老化は34歳・60歳・78歳で急激に進む』という研究結果を発表」とのネットニュースが飛び込む。遠く離れた生涯会うことも無い秀才たちからトドメの一撃を喰い、思わず笑ったのを覚えている。やめてもらっていいですか?
 
これが緩やかに(秀才たち曰く60歳になるまでは)続いていくのか。
面白いものだなと思う。顔も体も造りは変わっていないのに、表皮が刻々と変わっていく。
しげしげと観察してしまう。
知ってはいたけど、我が身に起こると強大な焦りと共に微かな感動も起きる。
この微かな感動は、恐らく自分の中に歴史を見るからだ。
 
変わるのは表皮だけではない。
この長引くウイルス禍で完全に引きこもりに拍車がかかり、仕事以外で殆ど他人と会わない。
良い悪いはさておき、今までになく心が穏やかだ。「さみしい」という感情が鈍化したように思う。
満足と安心。年配者が保守的思想を強める理由を少しずつ理解する。
このまま時が過ぎ、日常を愛しむ中で守りたい世界の色だけが濃くなっていくんだろう。
世界が狭いといえばそれまでだが、そんな薄い言葉で表せない歴史が刻まれた日常が在る。
若さというのは、この各個人が持っている歴史の存在を認識していない可愛い未熟さを言うんだろう。
 
驚くのは、こんな風に移ろいを感じながらも未だに次の道を探し続けてる自分だ。
今日に至るまで通過してきて様々な場面と比べても、この2年間は凪のように穏やかな日々を送っている。
それなのにまだ、新しい道を、日常の色どりに加える新たな染料を探している。
 
40歳の自分に、30代の自分は何を残してあげられるのか。
その問いを胸に、どこかに落ちている答えの欠片を、視力が低下した両眼で探している。
 

夜のまたたび

最近、テレビを観なくなり毎日ラジオを聴いている。
朝はNHKのR1、その他は「夜のまたたび」を。
 
「夜のまたたび」はTwitterから派生して兼業作家になった燃え殻さんと、AV監督の二村ヒトシさんの二人で雑談をする番組。
燃え殻さんが番組内で言っているように、心療内科のような番組。
 
少し高くてあどけなさが残る燃え殻さんの声と、低く穏やかで海をイメージさせるような二村ヒトシさんの声。
グズグズと泣き言を漏らす燃え殻さんを、包み込み共感し肯定し称賛し甘やかしながらおちゃらけて、いざという時は透明な真綿で包む様に擁護する二村さん。
 
私は二村ヒトシという人をこの番組で初めて知ったが、大人という言葉がしっくりくる懐の深さと安心感。
色々な有象無象を目にし耳にし生きてきた東京の人だな、と感じる。都会で人格形成された人の持つ、独特の冷静さと教養がある。
 
燃え殻さんに関しては処女作を出版される少し前にTwitterをフォローし、著書も発売されれば買って読んでいる。
Twitter芸人」と揶揄される部類でも、その他大勢とは一線を画す筆力のある人ではないかと個人的には思っている。正直私の中で小説家というカテゴライズではないが、書く文章が好きで、そこかしこで言われているように「文章の中に自分がいる」錯覚を起こし、自分の中の何かが救われる。
 
基本的に自己肯定感の低いスタンスでダメ人間として自分を表現している。が、東京である程度サラリー経験がある人ならわかると思うが、彼は全く底辺などではなく中流の上澄みを漂ってる人種。そして仕事の出来る人。
彼の世界にいる有能な人と比べれば劣るのだろうが、ブラックの零細ベンチャーが「会社の体を成す」までの過渡期の中心に鎮座し、かつ法人個人ともに結果を残すって、正直普通の人には不可能だろう。
アンチを引き寄せる要素が豊富だが、今まさにその世界の真っ只中にいる人には、息切れを起こしながら「辛い!無理!死ぬ!」と言いながら(自分とはレベルが違うものだとしても)結果を残していくその姿に激しい共感と泣きたくなるような救いを感じてしまう。
 
こういう人も苦しみながら諦めながら許しながら生きている。
そして怒られてる。怒られてへこんでいる。
 
何もかも完璧にするのが不可能で、どこかで妥協したり放棄したりしなければならなくて、他人はどこまでも身勝手で、自分も人としてちっとも完成される兆しがなくて、夜の電車で通り過ぎる景色をぼんやり眺めながら、365日中300日くらい、あぁ救われたいとぼんやり思う。
そんな中、二人の穏やかな「こんばんわ」の声から始まるこのラジオを聴くと、薄明かりの中にふわふわしたものが浮かび上がってきて頬を撫でられるような感覚を覚える。
 
あぁ、よくやってる、よくやってるよ。まだ大丈夫、大丈夫だと、鏡に向かって1人でつぶやいてる
綺麗な虹に近づきたくて、でも近くに行ったらただ雨が降っていただけだったとユーミンが言っていた。(中略)わかるよ、美しい虹ほど土砂降りで、まるで針や石の礫のようなものが降っていたりするんだよね
 
そうなんだよ。程度の問題じゃなく、年齢や仕事の量やレベルや社会的地位は関係なく、辛いもんは辛いんだよ。誰しもにこんな夜があるんだよ。
肯定してくれ、今この瞬間この状況この感情この存在を肯定してくれと思う瞬間があるんだよ。ぎりぎりを生きてる日があるんだよ。
 
そう思いながら、下ネタや哲学の話の合間に漏れ出る嘆息に口元が綻ぶ、そんな感じのラジオ。
たどたどしく読まれた「お手紙」の中に「このラジオは今1番信頼できる場所です」といったような内容のものがあって、ひどく共感した。
アーカイブが聴き終わってしまうのが勿体なくて、大事に聴いている。あと数回しか残っていない。
 
ラジオってこんなに良いものだったのかと、この年齢にして新たな発見をした。
テレビ捨ててみて良かったな、と思いながら、燃え殻さんの本業はテレビ業界だったと思い出して少し笑った。
 
 

10/15

この1ヶ月の間に、恩師が2人、立て続けに亡くなった。
 
1人はちょうど1ヶ月前。
第一線で長年活躍していたカメラマンで、上京する前後、私の知らない世界を見せてくれた人。
 
1人は昨日。
1年だけ通っていた全日制の高校の教師。私に学問を続けるよう導いてくれた人。
身長が2m近くある体育教師で、陸上で日焼けした肌は浅黒くて、阿部寛を強面にしたような顔で、常時「無敵」の二文字が背後に浮かんでいるような人だった。
 
この年齢になればお世話になった方が亡くなることもあるんだろう。わかってはいても、悲しみに似た重く苦しい感情が拭えない。
特に今朝聞いた恩師の訃報は、きつかった。今日が在宅勤務で良かったと、心底思った。
 
16歳で社会に出ることを決めた私は、恩師の勧めで通信制の高校に転入した。
転入という形を取ることに意味があるのだと、退学じゃないんだと言ってくれた。
勉強を続けろと、ちゃんと見に来るからなと、報告しにいつでも来いと言ってくれた。
5年近くかかっても何とか卒業できたのは、先生との約束を果たすという裏テーマが褪せることなく胸の中にあったからだと思う。
 
中学の時に随分と素行が悪かった私を、たった1年しか生徒でいなかった私を、その先数年に渡って気にかけてくれた。
最後に会ったとき、素敵な女性になったと言ってくれた。田舎の陳腐なアパレル店で、今思えばどうしようもない会社で、大したことのない仕事で、ろくでもない生活をしていた私を、頑張っていると褒めてくれた。きっとあれは、素行が悪く中途半端に目立つ田舎の女子高生が高校を辞め、それでも水商売に行かず地道に働いてることへの誉め言葉でもあったんだろうと思う。ドロップアウトしても、レールの上を走る皆が見える場所から、砂利道の上を転びながら並走しようとする私を褒めてくれたんだと思う。
 
 
先生、わたし今、東京にいるよ。
ちゃんとした会社に入れたよ。先生も驚くような大きい会社で、今までの生活が嘘みたいな、ちゃんとした生活を送ってるよ。
煙草も金髪も濃い化粧もやめたし、酒も飲み過ぎないようになったよ。
経理の仕事をしてるよ。大好きだった数学みたいに、毎日数字と向き合ってるよ。
先生のいた高校卒業できなくて、大学にも行けなかったけど、きっと全部うまくいってたとしても、今のこの道を歩んでると思えるよ。
先生に知られても恥ずかしくない人生を、生きてるよ。
 
 
あの人は私のヒーローだった。
たぶん、私以外の誰かにとっても。たくさんの人にとって。
それって紛れもない本物のヒーローだと思う。
 
先生、安らかに。ゆっくり休んで。お疲れさまでした。
先生、私のこと忘れないで。私は一生忘れない。おばあちゃんになっても、絶対に忘れない。
ありがとうございました。本当にありがとう、岩井先生。

夏の進軍を待つ

曇天が続いて、肌にしっとりと梅雨の残党がへばり付いている。
もうじき、夏が隊を組み梅雨の前線を蹴散らしながら進軍を始めるだろう。
季節はいつも通り移り変わり、私たちの揺れ動く生活の上を過ぎていく。
 
ほんの数ヶ月の間に、世界が大きく変わってしまった。
 
後に語り継がれるであろう歴史的パンデミックの時代に生きていること、そしてこの後大きな変革期に突入するであろう社会を生き抜いていかなければならないこと。
今までリスクヘッジを取るための概念に近かった自分の人生「観」を、現実味を持った仕様書にしていかなければならない焦り。
何を思うか、何を感じるか、どんな発言をするか、どんな行動をとるか、そして何を信じるのか。
全てが徹底的に「個人」に委ねられた、と感じる。
 
人間の差別的な部分や歪んだ自尊心、崩れた秩序や暴力的正義。今まで世間体や常識で蓋をされていた本質、度を越えた批判や排他的思考。
今まで、どこかしら平和な日々の中で、産声をあげた瞬間から用意された安全と秩序と常識を享受し、なんとなくの普通となんとなくの安心に包まれた状態で時間が流れていた。生きる中で降りかかってきた数多の悲しみや絶望はあれど、それは個人レベルの問題であって、今のように自分が立つ足元の根底、酸素のように当たり前に存在していると思っていた核が、もう既に無きものであったことに気付き始めた、こんな底冷えするような不気味さを味わったことは一度もない。それは突然現れた脅威が気付かせた、すぐそこにあった異変。そこはかとないキナ臭さ。正に「其処は彼と無い」。
 
都会のことも田舎のことも、色々なことを見聞きした。この僅か数ヶ月間の間で。
身動きが出来ず、得体が知れず、先が見えない中で、負の感情に埋もれてしまった。
自分の中にある禍々しいものが疑念と恐怖と怒りを餌に増幅してくるような。
這う這うの体で抜け出してみて結論したことは、結局、人は多くのものに関わる事なんて出来ない。個人でしかないということ。
理想論と持論をあべこべにして、綺麗事と自分事を一緒くたにしてみても、小さく微力でしかない。自分を過大評価するから、気に入らないものに怒り、違いを見つけて突き、膨れ上がった自己愛を正義に変換して鎌を振り上げるんだなと。私たちは所詮、ある程度の集合体で協力し合わなければ二進も三進も行かない微弱な存在なんだとなと。
よくよく考えてみれば、人は普通の日常の中でさえ、あれやこれやと言いながら思いながら生きている。未知の脅威とかそっちのけにしても、今日1日だって、失礼なことを言われて腹を立ててみたり、あぁもっといい方法があったのではと落ち込んでみたり、なぜ自分はこうなんだと自責の念に駆られてみたりもした。小さな細切れのような思念を数珠のように繋ぎ合わせて日々が出来上がる。所詮、自分のキャパの許す限りの感受性で出来上がる世界でしかない。小さな個人でしかないのだと結論した。なんだか自己中心的結論のような気がしないでもないが。
 
明日明後日明々後日、どこまでも不明瞭。
その中にあっても、私は今この街にいる自分に満足しこの生活を選んだことに一握の後悔もない。「仕方がないこと」が溢れているのが日常で、受け入れて自分の人生の時間を上手に使っていかなければいけない。負の感情やマイナスな行動に時間を費やす時間的余裕はもう無いんだろうと思う。自分のために、自分が関わる僅かな世界のために何が出来るのか。
命がけで現場に立ち続ける医療従事者・エッセンシャルワーカーの方々に、今この瞬間も尊敬の念が絶えない。私に何が出来るのか、私なんかに何が出来るのか。その答えがないまま、あらぬ方向の怒りや批判にベクトルが向いていた。冷静に考えれば、このしがないOLに出来ることなんて大して無くて、自分の行動に気を付けるとか通勤を可能な限り減らせるテレワークの充実化とか、至極真っ当な超現実的社会的な行動のみ。私は今この時代を一生懸命生きる。それ以上でも以下でもなかった。
個人が関われる僅かな世界のために。その連なりが社会であると思う。
 
あと数日で、ひとつ齢を重ねることになる。私はこの時代を生きていくうちの1人。
目の前に並ぶタスクが少しずつ変化を遂げている。この年齢の私に与えられる課題とチャンス。
自分の普通の生活と、脅威との共存が隣り合わせにある。今までと同じには戻れない、本当に新しい時代が必然的にスタートした。
「個人として考える」ことを今まで以上に意識して、毎日を送りたい。…あくまで理想だけど(本音)
 
 
元来夏嫌いの夏生まれだったが、今はただ、突き抜ける夏空を待ち焦がれている。
露に湿った曇天を蹴散らし力強く進軍する、夏の隊の来訪を。