10/15

この1ヶ月の間に、恩師が2人、立て続けに亡くなった。
 
1人はちょうど1ヶ月前。
第一線で長年活躍していたカメラマンで、上京する前後、私の知らない世界を見せてくれた人。
 
1人は昨日。
1年だけ通っていた全日制の高校の教師。私に学問を続けるよう導いてくれた人。
身長が2m近くある体育教師で、陸上で日焼けした肌は浅黒くて、阿部寛を強面にしたような顔で、常時「無敵」の二文字が背後に浮かんでいるような人だった。
 
この年齢になればお世話になった方が亡くなることもあるんだろう。わかってはいても、悲しみに似た重く苦しい感情が拭えない。
特に今朝聞いた恩師の訃報は、きつかった。今日が在宅勤務で良かったと、心底思った。
 
16歳で社会に出ることを決めた私は、恩師の勧めで通信制の高校に転入した。
転入という形を取ることに意味があるのだと、退学じゃないんだと言ってくれた。
勉強を続けろと、ちゃんと見に来るからなと、報告しにいつでも来いと言ってくれた。
5年近くかかっても何とか卒業できたのは、先生との約束を果たすという裏テーマが褪せることなく胸の中にあったからだと思う。
 
中学の時に随分と素行が悪かった私を、たった1年しか生徒でいなかった私を、その先数年に渡って気にかけてくれた。
最後に会ったとき、素敵な女性になったと言ってくれた。田舎の陳腐なアパレル店で、今思えばどうしようもない会社で、大したことのない仕事で、ろくでもない生活をしていた私を、頑張っていると褒めてくれた。きっとあれは、素行が悪く中途半端に目立つ田舎の女子高生が高校を辞め、それでも水商売に行かず地道に働いてることへの誉め言葉でもあったんだろうと思う。ドロップアウトしても、レールの上を走る皆が見える場所から、砂利道の上を転びながら並走しようとする私を褒めてくれたんだと思う。
 
 
先生、わたし今、東京にいるよ。
ちゃんとした会社に入れたよ。先生も驚くような大きい会社で、今までの生活が嘘みたいな、ちゃんとした生活を送ってるよ。
煙草も金髪も濃い化粧もやめたし、酒も飲み過ぎないようになったよ。
経理の仕事をしてるよ。大好きだった数学みたいに、毎日数字と向き合ってるよ。
先生のいた高校卒業できなくて、大学にも行けなかったけど、きっと全部うまくいってたとしても、今のこの道を歩んでると思えるよ。
先生に知られても恥ずかしくない人生を、生きてるよ。
 
 
あの人は私のヒーローだった。
たぶん、私以外の誰かにとっても。たくさんの人にとって。
それって紛れもない本物のヒーローだと思う。
 
先生、安らかに。ゆっくり休んで。お疲れさまでした。
先生、私のこと忘れないで。私は一生忘れない。おばあちゃんになっても、絶対に忘れない。
ありがとうございました。本当にありがとう、岩井先生。

34歳普通のOLのリアルな化粧品

季節の境界線が、年々曖昧になっていますね。
相変わらず薄手半袖ニットを着るタイミングが分からないまま、34回目の秋を迎えました。
 
もともと出不精だった私がウイルスによって肯定的引きこもりへと進化して早10カ月。気付いたら本当に2020年の記憶が曖昧なまま、10月も半ばに差し掛かりつつあります。
外食も数回だけ、旅行も帰省も0回。
問題は、この生活を快適と感じてしまっていることではなかろうか。家から出なくても、退屈のたの字も感じなくなりつつある恐怖…。
こんな生活で運動も美容もだらけまくりだけど、最近少し毎日のケアを変えたので備忘録的に今の化粧品書いておこうと思います。(アフィリエイトではなく載せやすいという理由だけでAmazonのページ載せてますが、基本的に化粧品は公式で購入したほうが良いですのでご注意ください)
 
昨今のネットに溢れる美容アカウントについて思うんですけど、こんな高い化粧品あれやこれや買い続けてどこの富豪ナンスか?って思うんですけど私だけですか?
無理じゃない?SK-Ⅱ揃えてSUQQU揃えてコスメデコルテ揃えてシャネルにちょっかい出してたら破産しません?
デパコスとドラックストア併用しないとやっていけないんですけど・・・
 
しかしこの歳になると、いかんせん見たことないシミも毛穴もクスミも出てきて、これ私?ってなるんですよね。
平日にふとオフィスのトイレで鏡に映った自分の肌見て四度見するんですよね。昨日四度見して今日も四度見するんですよね。ルーチンですわ。
ここ3年ぐらい使い続けた資生堂のアクアレーベルの青いやつで、生まれつきジグロだった私の顔面が奇跡のオークル10まで白くなったのですが、もう諸々耐えきれなくなってきたみたいだなぁと痛感しました。トイレで。
 
しかし、私の肌の特徴として「成分が強すぎると荒れる」「無添加・敏感肌用と名高いものでも荒れるものは荒れる」、さらには「値段が高すぎるものを使うと強烈に荒れる」という謎の性質を持っているんですよね。
これって意外とアンチエイジング化粧品、選びにくいんだよなぁ。
 
このくらいの年齢になると「つけた瞬間ハッとする」化粧品に出会った経験がある方も多いと思いますが、最近出会ったのでこの熱を書き記したい。
有名なこれ。 

 試供品を初めて使った瞬間、KANEBOのクリーム以来の感動。だいたい1週間くらい使って、明らかに肌が内側から色が違う。これが「内側から輝きだす」ってよく謳い文句で言われてるやつか?と不思議に思いながらも、いやでもシミが消えたわけでも何でもないしなぁ…と思いながら、せっかくの機会だから別のものも試してみようと、SNSで人気だったアルケミーも化粧水・美容液セットを頼んでみましたが、もはやレベルが違う。

と、いうことで本品を購入。約2ヶ月分で10,000円。うーん。こんなもんか。
香りも強くなくオーガニックの良い香り。つけた瞬間に肌に入り込み、潤って手が頬に吸い付きます。四度見してたトイレでの顔面が、五度見するくらい明らかにトーンが変わりました。
私は目が大きいので、目の下にクマがありコンシーラー必須・皺出来やすすぎワロタな感じなのですが、この美容液だけでもなかなか改善されたので、普通の人ならもっと良いんだろうな、と思います。
 
自分が米国の化粧品を使える日が来るとは夢に思わなかったな…。アイクリームも探し中でここ2日ほどキールズの試供品を使っていますが、美容液ほどの感動がないので3,800円出すのは微妙だなぁと思っています。
この美容液で既に出来たシミが消えることを期待するけど、それはたぶん難しいのかな。しかしこの明らかに内側から色が変わるのはどんな仕組みなんだろう…本当に不思議だ。
 
それと、ドラッグストアコスメで名高い化粧水も購入。アクアレーベルと比べて保湿力が爆上がりしたのでコッチをリピートしようと思います。 

 トラネキサム酸の効果はアクアレーベルで実感済みなので効果を期待。しかし安いな。最高やん。

 
それと、CMで有名なこれ。 
鼻回りの化粧ノリがとんでもなく良くなって2個目突入。使用感がいいか悪いかは正直よく分からないけど、結果が出てるからリピート。10年近くファンケルのオイル使ってきたので使用感はファンケルのほうが好き。マスカラの落ちが不安なので、別にマスカラリムーバーを使うようになりました。3,200円くらいなので前の1.5倍か…しかし今更やめられない、化粧ノリの良さ。
 
この2つはどんな化粧品を使うようになろうと必ずストックしておくもの。
メラノCC 薬用しみ・そばかす対策 保湿クリーム Wのビタミン配合 23g

メラノCC 薬用しみ・そばかす対策 保湿クリーム Wのビタミン配合 23g

  • 発売日: 2018/09/04
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 やばくなったらこれ。なんかできたらこれ。ニキビ速攻治りますし、強い化粧水で荒れた肌を何度この2つで直してきたかわかりません。困ったらこれ。

 
そしてこれももう10年近く使ってる乳液。
MINON(ミノン) ミノン アミノモイスト モイストチャージ ミルク 100g

MINON(ミノン) ミノン アミノモイスト モイストチャージ ミルク 100g

  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 基本的に乳液と呼ばれるものが嫌いなんですけど、これだけは使えるから長年使ってるんですよね。キールズのラインだと乳液はなくて美容液→クリームなんですけど実際どうなんだろうなぁ。

 
洗顔はおそらく初めて使ったのは中学生なんじゃなかろうかと思うこれ。
【Amazon.co.jp 限定】大容量 ロゼット 洗顔パスタ 海泥スムース 180g

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  • 発売日: 2018/11/29
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 不思議なことに、緑だけ良い。黄色を使うとニキビ出来る。緑しか勝たん。

 
20代から、まだ日本に来る前からinnisfreeが好きで、まぁ実際良いのですが、正直30代前半までなんだろうなぁと思い始めてます。今もこの2つ使ってるけど、使い切ったらリピートはないかな…ストックがあるからしばらくは使い続けるけど。
イニスフリー日本公式(innisfree)グリーンティーシード クリーム[クリーム]50mL
 

 と、まぁ基礎化粧はこんな感じで、今のところデパコスは美容液のみ。

KANEBOのクリーム使いたいけどこれ以上美容代嵩むのきついなぁ…。高すぎるんですけどあれ…。クリームとアイクリームは、時間かけて検討しよう。
 
ヘア用品はこれ。
アルガンオイルの甘い香りプンプンさせるのも、年齢的にイタいなぁと思いこちらを使ってみたところすごく良かったです。
同ブランドで別の種類の有名なオイルは頭ギトギトしてるみたいに見えて嫌だったのですが、こちらはもっと軽いので柔らかくサラツヤになるイメージのオイルです。
朝晩使ってもだいぶモチが良く、アルガンオイルより良いと思います。
メイク用品で最近めっちゃヒットはこれ。 
キュレル UVエッセンス SPF30 50g(赤ちゃんにも使えます)

キュレル UVエッセンス SPF30 50g(赤ちゃんにも使えます)

  • 発売日: 2017/02/13
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

ラロッシュポセ使ってみたかったんですけど、今まで下地しか使ってこなかったから日焼け止めってどうなん?ってとこでお試しで安心のキュレル買ったら最高でした。

ピンク系マキアージュの下地をやめて、この下地→ファンデの流れでベース作るようになりましたが、ノリもいいしクスミ飛びます。ピンク系の下地付けた時の「うーん肌の色なんかなぁ…」がなくなって感動した。
 
ファンデ。リニューアル前から使ってるから…かれこれ何年だ?5年くらい?
リニューアル前はしっかり付く感じだったけど、リニューアル後は薄付きなのになぜかカバーされてるという謎の良品だと思います。
もちが良くて、3ヶ月以上は持ってる気がする。伸びがめちゃくちゃ良くて、艶の出るファンデ。別売りのオイルを混ぜて使う方法もあって試供品で使ってみたけど良かったです。いらないけど。
クマさえなければ安いファンデでもいいけど、がっつりコンシーラーしないといけないからなぁ。本当はマスクで隠れるしもう少し安いファンデに変えたいです。このファンデはいざという時にストックしておくと思いますが。
 
天下のSUQQU、レベルの違いを見せつけられて初めて化粧品の衝動買いしました。
前述の美容液、KANEBOのクリーム、あとはこの2つが、肌に乗せた瞬間「すごい」と思った感動コスメです。
(色:03)
正直、衝動買いするってわかってるからこれ以降SUQQUでタッチアップしてません。
口紅は良いものを必ず1本は持っていなさいという母の言葉を信じて買ってみたけど、本当にこの歳になると「この口紅を付ければOK」というものを持ってるのは大切だと実感します。ビジネスでも使える色なので、マスクの時代でもいざという時には必ずこの口紅を頼ると思います。
 
資生堂の有名リキッドコンシーラーよりよいのはこれです。圧倒的カバー。ヨレも比較的少ない。 
ミシャ ザ コンシーラー KUMA

ミシャ ザ コンシーラー KUMA

  • 発売日: 2019/02/11
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 

普段使いに最高。口紅に重ね付けして色味変えたりにも使えます。この色はビジネスにもOK。他の色も試しましたが、この色以外は正直「色付きリップクリーム」の域を出ませんので、年齢の高い人には向かないです。 
ニベア リッチケア&カラーリップ ボルドー

ニベア リッチケア&カラーリップ ボルドー

  • 発売日: 2017/01/13
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 

マスクになってから+前述のように肌のトーンが上がってから、最高にヒットでした。秋とか冬とかわからないけど100%イエベの私には久々ヒットだったアイシャドー。

王道のルナソルのアイシャドー、スキンモデリングアイズより今のところ良いと思ってる。
 
フェイスパウダーはinnisfreeだけどリピートはしないのでこれも検討かな…。
疲れてきたし他にこだわりがないのでもうやめよう。
 
あ、最後に合わなかったやつ。
前述したアルケミー。とにかく匂いがきつくて。良いものかもしれないから慣れるまでは…と思っても「もう、つけたくないな」とゲンナリしてしまいました。化粧水はシャバシャバ系、美容液は軽い使い心地。使い続けて良くなったという口コミもあったので継続が大事かもしれません。私は毎日苦手な匂いを顔に浴びるのは無理でした。 
これ、メルカリで高い値段で転売されてますがインスタ等SNSからスターターセット買うと3,200円くらいで本品買えますので、初購入の方はそちらから買ったほうがお得です。私は返品しますが、返金対応もしっかりしてくれます。

 

評判が良くて使ってみたら、肌が強烈に荒れ、上瞼の皮が鱗のように剝けるという地獄のような日々を味わった化粧水。

 ハトムギ化粧水とミノンで半年近くかけて直しました。これは本当に強烈だった…思い出したくない過去です。一体何の成分が合わなかったのか、未だに謎です。ただ、匂いも付け心地も良かった記憶があります。

 

数年後、どんなラインナップで化粧品つかってるんだろうなぁ。これから先は、ひたすらアンチエイジングという茨の道を歩まなければならない運命にあると思うとなかなか辛いですね。
しかし不思議なもので、肌が綺麗になったり化粧がうまくいくと、嬉しくなるのが女心ですよね。おばあちゃんになっても綺麗に薄化粧されてる方がいらっしゃいますが、年齢にあった美容を楽しむ女性でありたいなぁと思います。
 
 
自分で言うのもアレだけど、いちいちブログが長いんだよな…
さて、残り2カ月半。2020年をどう締めくくろうか考えながらコーヒーでも飲もうと思います。
皆様よい週末を。

読書感想文【不思議な羅針盤】

お盆休みに帰省しないのは例年通り。
今年は5連休のうち1日だけ友人と食事をし、あとは家に籠って資格勉強と読書に明け暮れています。
これでいいのだろうかという思いは、結局のところ一人の心地良さに上書きされてうやむやになっています。
 
実家の母に頼み、捨てずに保管していた文庫本を送ってもらいました。
梨木香歩太宰治がほとんどを占め、三島由紀夫夏目漱石が1冊ずつ。
結局自分を構成してるのは、この辺りなんだろうなぁとぼんやり実感します。
 
さて相変わらず梨木香歩の本を読み漁り、先日書いた家守綺譚の続編「冬虫夏草」を先に読んだのですが、タイムリーに読み終わったのがこの本なのでなんとなくこちらから日記にしておこうかなと思います。
不思議な羅針盤 (新潮文庫)

不思議な羅針盤 (新潮文庫)

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2015/09/27
  • メディア: 文庫
 

 エッセイ本嫌いな私が、梨木香歩のエッセイだけは嬉々として読みます。

この本は2007年からの3年間、雑誌「ミセス」で連載されていたエッセイのようです。掲載当初の政治に対する危機感や社会情勢を危惧する言葉が並んでおり、あとがきや文庫化に伴うあとがきでも言及されています。
2020年の今日読み返しても、今自分の心に靄をかけている憂国の念をリアルタイムで記してくれているような錯覚に陥ります。
ここ最近社会が大きく変わったわけではなく、この頃から少しずつ少しずつ、首を傾げてしまうような変化が続いているんだと思います。
普遍的な毎日を書き記したエッセイ本だけど、押しつけがましくない社会との距離感や投げかけられる行間に潜む疑問たちは、今だからこそ再読して良かったと思わせてくれるものでした。
 
前回に読んだのがいつだったのか忘れてしまいましたが、「狭い世界で豊かに生きた翻訳家」である片山廣子さんの印象が強く残っていました。
恐らく20代で「ここではない違う場所」への出立を考え始める前後に読んだのだろうと思います。そのスケールの小さい中にも、その僅かな要素の中に都会的な教養が含まれていることへの羨望もあっただろうと思います。
 
今回、少し「人間疲れ」していた私は序盤である3章の『近づき過ぎず、取り込まれない』の言葉たちに感嘆し、5頁ほどの短い文章を何度も読み直しました。
この章では人には磁場があり、自分を消耗させる磁場をもっている人から遠ざかる事について書かれています。
シンプルになる、というのはある種の諦めが出来て心穏やかになれる可能性がある、ということ。ややこしくなる、というのは、そういう「結局自分が悪い、身から出た錆」というような考え方は、非常に投げやりで短絡的な思考の帰結で、つまり何も考えずにすみ、(中略) 本人に真実を見極めようとするファイティング・スピリットを起こさせないところがあることである。
著者の魅力的なところは、遠ざかることが大切と言いながら、その人のピンチには駆けつける「助っ人」として自分を位置付けているところ。こういう他人との距離の取り方は、著者のどの本にも存在している芯のようなものだと感じています。
この章を読んでとっさに思ったのは2つ。「無理に他人に期待したり距離を縮めようとする行為は疲れるからもうやめよう」と「この磁場は、私が持っている磁場かもしれない」という相反するもの。
 
気付くと他人に期待している自分がいて、甘えている自分がいます。承認欲求と自己顕示欲が渦を作り、自家中毒を起こしてしまいます。
いつまでも成長しない自分の幼稚性に辟易しています。私は恐らく、誰かを疲れさせる要因になっている。本当に気を付けなければいけない年齢に差し掛かっているのですが、うまく調和が出来ない時間が続いています。疲れきって突入した連休でこの本を再読出来てよかったです。
 
23章では、樹木希林の主演で映画化された「日日是好日」について書かれています。その章の終盤の言葉。
心の上っ面と、深い部分が乖離していくのを感じるときがある。
この感覚、私は子供のころから(恐らく)人より強く生じてしまい、意識が別の場所に飛んでしまうことが多々あります。気もそぞろどころか、なんだか現実と空想のあべこべの世界に意識が飛んで、社会性を保つ「上っ面」と心底のアンバランスさを必死に調整している感じ。これが出来なくなったら精神が壊れる、危ないっていうギリギリのラインで調整作業に勤しんでいる時すらあります。
文中にある「五感の百パーセントをかき集める」ような行為をもう随分していなくて、ただグラつきを調整するだけの時間を過ごしていて、正に文中にあるように「バラバラになった自分」状態だったので、ハッとさせられました。
生活に仕事にやるべきことにやりたいことに、全く集中していない。「今、ここ」に百パーセントをもってこなければ。何やってるんだ自分は!と、静かに叩き起こされた気分でした。
 
 
改めて、なぜここに来て私はこの著者にここまでハマっているのだろうと考えたところ、やはりこの著者自身の人間性に憧れのような感情を抱いているんだと思います。
著者の他人との距離について書かれたものは潔く心地良く、芯の通った凛とした佇まいが文面から伝わってくるのです。小説の中に、空気中の酸素のように存在していたその佇まいをエッセイ本の中に「著者本人」として見つけ(知ったかぶりもいいところですけど)、よりその思いが強くなったように思います。
マイノリティや自分と異なるものを受け入れる。自分という人間を過去から現在まで客観的に見つめる。そして自分が好きなものへの造詣が物凄く深い。著者のエッセイ本だけは夢中になって読むことが出来るのは、日本語の美しさだけではなく、その姿勢への憧れと視座への尊敬があるからだろうと思います。
 
私もこんな風に、ぶれずに肩肘張らずに、自分という人間と自分の生きる人生を潔く楽しめる人でありたい。
これだけ歳を重ねても、まだ時間がかかりそうで、ため息が出てしまう。 
それでも、せめて、こうやって何度でもハッとして、理想の自分であることを努力する人間でありたい。
 
読書感想文かどうか怪しいけど、せっかく乱れ打ちした日記なのでアップします。

34歳、独身の独話

先日、誕生日を迎え34歳になりました。
34歳。初診の病院で問診表を書いたとき「おぉ…」と心中で感嘆の声が漏れました。なかなかのパンチ力だな、34。
 
私は今、「私」以外の顔を持たずに生きています。誰かの妻としての顔も母としての顔も持たず、ここ数か月は恋人としての顔も持たず。
このブログに移行前(移行というのかな?)のブログで、28歳目前で恋人と別れた記事を書きそこそこバズったことがあります。1日のアクセスが数百、それも数年間続き、自分が暮らしている田舎以外の世間にも年齢をトリガーとした結婚という仕来りへの意識転換が確実に存在しているのだと実感しました。
改めて数えて白目剥いたのですが、あれから早7年(嘘だろおい)。あの記事を書いた時には想像もしていなかった「上京」というイベントが発生し、地方と都心でズレている「適齢期」を両方の土地で経験するという希有な体験をしました。いや疲れましたよまじで、いいよ1回で。
 
28歳の終わりまで田舎に暮らしていた私は、あの強烈な同調圧力と「それ」以外の選択肢の無さには空恐ろしさを感じていました。東京のそれは伝え聞いていた通り全くの別物で、将来の不安要素を孕みながらも、生き方の多様性が認められています。あらゆることで言えることですが、持つ者と持たざる者、そしてその中間層がハッキリと層を成しているように思います。
この色濃いヒエラルキーが屹立する世界で、時々吹き荒ぶ突風に吹き飛ばされないよう生きている毎日ですが、ここ数カ月間は凪のような日々を過ごしています。まぁ端的に言うと転職活動の末にホワイト企業で仕事ができるようになったんですけど。東京に出てくる前も後も、とにかく社会という大海原に航海に出てから大波小波に飲みに飲まれて船酔いしまくり転覆しまくりな社会人生活を送ってきたのですが、ここに来て凪。超、凪。どうした、母なる海よ。いいのか私がこんな感じで?
仕事については別に書くとして、この突如訪れた凪は私の心境に大きな変化をもたらしています。
 
この凪の訪れによる心境の変化を気持ちの整理と共に文字にしようとするには、ここ最近立て続けに起きた(起こした)二度の同棲解消を振り返らないとまとまらないだろうと思うので書いておこうと思います。
 
一度書ききってあまりに長くなったので要約すると、2回同棲解消を経験した34歳が今後どうしようかなって悩んでるけど結局美容に気を付けなきゃいけないから今夜はYouTubeで宅トレしよっかな~って内容です。万が一にもここまで読んでくれた方がいたら申し訳ないので、これ以上でも以下でもないのであしからず。
 
初めての同棲、そして解消、そしてまぁなんということでしょう再度別の方と同棲を経験しそそくさと解消。2回とも、さすがに壮年の男女の話なので「一緒にいたいっぴ☆」みたいノリじゃなくしっかりとした「結婚ですね、諸々への挨拶を済ませたんで、よろしゅう頼みます」だったのですが、目前に迫る独身生活への終止符の符を結局破り捨てる形となりました。
包み隠さず正直に比較すると、1度目は茹だる様な愛情があり、2度目は冷静な将来像がありました。1度目は純粋に傷付き、2度目は人生の踏み台にしてしまった気がします。1度目は鮮やかな思い出が残り、2度目は気付きだけが残りました。1度目は望んで、2度目は逃げで、結婚を選択しようとしていました。それぞれに価値観の違いなど抽象的なものではない現実的な別離理由はありましたが、年齢を考えれば大半の人が我慢することを選び、結婚を選択しただろうなと思います。客観的に見てそちらが正解だと今でも思います。私が「逃げ」と表現することを「結婚を望む理由」にしている人たちが沢山いることも知っています。
 
2度目の同棲話を承諾した時に思ったことは「こんなにも熱心に言ってもらえるのは最後だろうなぁ」と「この先の見えない毎日に独りでは辛いだろうなぁ」そしてその2つに添えて「普通の家庭を築けるだろうなぁ」でした。3つのMaybeを携えて、いざ東京を離れベットタウンに居を構えたところ、詳細は省きますが人生で最大の絶望感を味わうことになりました。暴力借金ギャンブルなど、酷いことをされたわけではありません。それでも、あの時ベットタウンの一室で感じた絶望感は忘れられません。1度目の同棲相手に抱いた熱情と同じものを求めていたわけではなく、世間で所謂適齢期を少し過ぎた人が抱くであろう年相応の理解と思いを抱き、むしろそれを望んでいたはずなのですが、私はその部屋に私の幸せが欠片1つもないことに気付いてしまったんですね。自分のアパートも解約し仕事も退職の手続きが済んでいる中、自分が塵芥と化してしまったような絶望感。これが私なのか、これが私が生きた末路なのかと泣いても泣いても泣けてきて、いっそもう全てお終いにしてしまおうとすら思い詰めました。いやもうマリッジブルーとかの騒ぎじゃないだろと今となっては笑えるのですが。若い頃と違い、相手が結婚と子供を望み且つ年齢が高くなっている今、諸々に頷かない私は相手にとっても見切りをつけるべき相手。お互いに猛烈に精神を削られる時間を過ごしました。
私は田舎に住んでいる時、これ以上ここにいたら私は精神的に生きていけないという思いに駆られ上京という選択をしました。あの一室で感じた絶望感は同じ種類のものでした。車がなければ若干困るけどバスで何とかしのげる、都内で働く人も沢山住む、そんなベットタウンですら「このままここで一生」と思ったら発狂しそうでした。私は東京という街が好きで、仕事が好きだという根底を見失い、激務と不安から逃れようとしていたのです。1度目の同棲相手への垂れ流すような恋心を憎しみにすら昇華出来ていないことにさえ、馬鹿な私は地の底まで絶望してようやく気付いたのです。家庭というものに縁遠く、人との共存が苦手である事すら忘れ。これから新しく築こうとする段階で私は「何もかも失ってしまう」とかつてないほど恐怖に慄いたのです。相手にもその年齢で結婚を申し込むには些か難ありだろうという事由があったことも事実ですが、こう振り返ってみても、相手が聖人君主だろうが何もかもが不可能な、私に責任のある別れだったと思います。相手が積極的に次の方を探し、自分の家庭を築くつもりであったことが救いでした。そしてそれがすぐに叶うだろう人であったことも。
 
幸いなことに私は元来の運の良さをフル発揮して、それまでの激務の職場からホワイト企業への転職に成功出来たので、万事終わりよければ全て良しな結果になったのでこんな風に書けています。
なんだかんだ吹っ飛んでも上手く着地を繰り返して何食わぬ顔で再び歩き出すのが私なんですけど、二度の同棲解消はさすがに疲労困憊でした。そこに来て、この凪のような日々と自粛という名の肯定的引きこもり。他人との関係性が大きく変わりました。
自分がどんな人間なのか改めて突き付けられた今、これからの30代をどう過ごすべきなのか。もう1度結婚話に花を咲かせるかと言うとちょっとご勘弁願いたいという心境になっており、どうしたものかと考えあぐねています。米粒ほどでも焦りを持ったほうが良いんじゃないだろうかという自分の思いとは裏腹に、何とも充足感に満ち満ちた日々。独りということへの「私のあるべき姿」感。凪のように穏やかで日々の生活への不安が多少なりとも払拭された今、他人との共存を望まない自分が頭を擡げています。そしてそんな自分の正直な心を完全に受け入れ独りで生きることを決心することが出来ない34歳という年齢の自分。これは世間一般に言う「年齢による諦め」なのかとも考えたのですがどうも似て非なるものがあり、しっくりした答えに辿り着けていません。
 
やはり人と関わり過ごす事でしか出来ない成長や気付きって多くて、30も過ぎるともう自分1人だけで出来る人間的アップグレードってほぼ無いんですよね、実際。独身として生きている私は、結婚をして誰かのために過ごす時間や子育てに充てていない時間分経験出来ることは多いでしょうが、同程度の成長や気付きが出来ているかというと答えはNOです。英語が話せるようになるだとか難しい資格を取るだとか昇進昇級するだとか事業で成功するだとか、そういった社会的成長とは異なる人間的成長。そこが、皆無とは言わないですが、非常に少ないことは素直に認めざるを得ません。誰かの為に生きている部分を持たないと、詰む時が来るんでしょうね。不倫だのレスだのマイナス面を加味しても、結婚という家族を作る行為は尊ぶものであることは変わりないのだろうなと思います。
特に他意はなく純粋に、母として変化を遂げていく女性を尊敬します。歳を重ねるごとに、小さく無垢な自己を持つ人を育て上げることは偉業であると畏敬の念すら抱きます。あの人間的変貌は神秘的ですらあります。今、人生でその選択をするか否かは大きな分かれ道だと感じています。心中、7割は自分が生涯その選択をしないだろうと思っていますが、2割はその選択を出来るのにしない場合未来の自分は後悔するのだろうかと考えてしまいます。そして残りの1割は、なぜ恐れず希望だけをもって子を成せるのか、この歳になっても未だに理解することが叶わない哀れな自分がいます。
 
色々な機会損失がありますが、その選択をするカードが残り少なくなってきていることを自覚しています。
1人で生き抜いていけるほどの装備を自分が持っているとは思っていません。ですが、自分の奥底で、この2年間ほどの短い期間で起きた私の生活的実験のような出来事の中で、独りであることへの自分らしさを感じるのも事実。家庭というものに安心感を持ったことのない私が、誰かの安らぎを生むことが出来るのか。疑問が宙に漂いながら、今日も凪のような1日を独りで過ごしています。
 
1つだけ確かなことは、私はもう女子ではなく、天から与えられし生まれ持った美しさは使い切ったということ。これからは努力と美はイコールで結ばれ、老いと重力に抗い続ける日々が待っているということ。
要するに、自粛で太り気味の34歳の私が何を言ったところで、若い時のようにはいかないということです。
結局同棲解消の振り返りだけで何の答えも出ませんでしたし私すごい我儘の極み女みたいに仕上がってない?と思いますが長くなりすぎたので更新しておこうと思います。(めんどくさくなりましたすんません)
 
なんだかんだで今日の自分が好きなんですけどね。それを世間でいうと微妙な空気になるのも事実なので、ここに吐いておきます。
今日はYouTube見ながら宅トレしようかな。34歳、努力が必要な面倒なお年頃ですね。

読書感想文【家守綺譚】

ここのところ、自粛という名の引きこもりが板についてしまって「暇」という概念すら見失いそうです。
日曜日なんか気付いたらサザエさんの時間です。朝早めに起きたはずなのに。というか土曜日どこ行った?ってなります。
 
1番書きたいことがまとまりません。別に誰が読んでるわけじゃないからまとまってようがなかろうが良いのですが、アップする記事を作ることで何かの思考を完結させる癖をつけたいのです。しかし最近の出来事はあまりに心を揺さぶり胸の奥に鈍痛が残るようなものが多く難しいです。やるせなさの渋滞が起きています。
 
 
ここ数年、心が疲れた時に必ず読み直す本があります。
梨木香歩の著、『家守綺譚』です。 
家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)

 

 先日、何度目か思い出せない読了。何度読んでも飽きないし何度読んでも良い。ただ良い。こんな本、私の中で他にはありません。

続編である『冬虫夏草』も含め、文庫本も単行本の両方揃えたのですが、通勤電車で読むため久々に文庫本を読みました。(ちなみに貼り付けてるAmazonの画像は文庫本ですね。単行本の装丁も素敵なんですよ、藍色の縞模様で。この記事の最後に貼る冬虫夏草の画像は単行本で、こちらは鼠色の縞模様。素敵。)
この文庫本がまた良くて、文庫本にしか載っていない書下ろしの短文(物書きである主人公の著作として載ってる)も好きだし、解説も共感の嵐が(私の中で)巻き起こるので好きです。
その、好きな解説の言葉を借りてこの本の紹介をします。(解説:吉田伸子)
主人公の綿貫征四郎は、大学の学士であり、駆け出しの物書きである。物語はその征四郎が、早世した学友・高堂の実家に「家守」として住まうところから始まる。 

 明治時代、学士と名がつくのは今でいう東大京大のどちらかしかなかったはずなので、琵琶湖が物語の中心に鎮座するこの話の主人公は京大出身の秀才君かと思われます。教養ある貧乏な物書きっていつの時代もなぜか惹かれるのですが、この主人公はそれにプラスしてありのままを許容する性格で、ファンタジー要素満載の様々な出来事を驚きながらも受け入れ、家守の日々を過ごしていきます。優しいのです、この人が。偏屈なのに。

 
ここ数年、梨木香歩の本ばかり読み漁っているのですが、1番の魅力はその日本語の美しさです。文字列が眼福。心が澄んでいきます。
家守綺譚はつい口元が緩むような場面も多く、それなの俗っぽくもない。小鬼やら白竜やら異界のものばかり出てくるのに、鮮明に情景が浮かんでくるから不思議です。様々な植物の名前がついた、テンポの良い短い章が28個。何度読んでも、読み終わりたくないと思います。日本という国の普遍的な美しさが散らばっています。
そしてもう1つ、私は梨木香歩の書く孤独や人との距離感、人生観が好きです。エッセイをほとんど読まない私が、一気読みした『春になったら莓を摘みに』というエッセイ本。
春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

 

 ここでの多様性を受け入れる姿勢が、私の求めていた他人との距離感を的確に表現してくれていたのです。家守綺譚含め、梨木香歩の著書は全て同じ軸で成り立っている物語のように思います。ちなみに家守綺譚の解説にもこのエッセイ本が出てきて「それ!その一文!!わかる!!!」となり共感の嵐が(以下略)。

その一文がこれです。
理解はできないが受け入れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ。
 恐らく幼少期には誰もが出来ていたことなのに、今となっては最も難しいことになってしまいました。今、このご時世、より一層そう感じます。ちなみに、解説では『春になったら莓を摘みに』の本に「呼ばれた」と書かれていてこれにも正に共感の嵐が(以下略)。こんなに読んでいて嬉しくなる解説も初めてでしたが、要は同じように魅力に惹きつけられる人が沢山いるということですね。
 
いったい、どの本の読書感想文を書きたいかわからなくなってきました。解説が秀逸なのと、この本を語るにはあれもこれもと言いたくなるので話が脱線しまくってしまいます。
そういうことで(どういうことで)、綿貫という主人公が魑魅魍魎と呼ぶにはあまりにチャーミングなキャラクターたちと、穏やかに日々を過ごすお話なのです。壮大なスケールとは程遠い、ほぼ家か近所の山か湖しかない世界ですが十二分に事足りる魅力的な世界。日々の暮らしの中にある美しさと幸福感が文面から滲み出てきます。
そして綿貫の優しさと教養と芯の強さ。それらをふんわりと包む、憎めない偏屈さ。湖で命を落とした親友の高堂は、凛としていて知識も豊富で冷静沈着。「だからお前はだめなのだ」と綿貫を諭すような場面も多々ありますが、読み進めたり読み直したりすると、高堂は綿貫に絶対の信頼をもって接し、どこか甘えているのではないかと思います。綿貫は「こいつはこういう奴なのだ」と受け入れます。いつもそこに在ってくれる、その存在がもたらす安心感。ダメ人間っぽさをチラつかせながらも、綿貫という男はどこまでも優しく描かれています。これは実際いたらモテますわ。
 
好きな場面だらけですが、その中でも特に好きな2つがあります。
綿貫が恋心未満の淡い想いを抱く少女は、綿貫同様親友を亡くし、その親友は鮒や鯉に連れられ、嫁入りの体で湖の底に行ってしまう。逝ってしまった親友が過ごす湖底ではこの世ならざる世界が広がり、まるで本当のこととは思えない。それでも、想い人であるその少女は夢物語のような湖底の話を、親友から聞いたままを綿貫に語る。その話を聞いた綿貫は、こう応える。
本当のことより本当らしいじゃないですか。それが本当で、何か不都合がありますか。
いやいやいや、惚れてまうやろ(古)。
自分が信じると思ったものが、たとえどんなものであろうと常識や固定概念から逸脱していようと、何ら不都合はない。そこに在るなら都合はつく。色々な横槍に突かれてるときにこのページを開くと毎度、文中のセリフを自分の言葉として返事したくなります。『————いえ! 何も!』
 
もう一つは、綿貫自身が湖底に行くシーン。この話のクライマックスですね。湖底に留まり、憂いも苦しみもない生活を選ぶよう誘われます。即ち死ですが、それは親友 高堂が選んだ道。差し出される瑞々しい葡萄を口に含めば、憂いなき素晴らしい、実に理想的な日々が待っています。ですが綿貫は、その誘いを『私の精神を養わない』という理由で断ります。そのセリフの一部に、私がこの作品の中で1番好きな一文があります。
 
私は与えられる理想より、刻苦して自力で掴む理想を求めているのだ。
 もはや初読がいつだったか忘れましたが、まだ地元で会社員をしていた時だったように思います。地方都市とも呼べないような田舎で20代の後半に突入しようとしていたころ、自分と周りの価値観や人生観のズレが看過できないレベルに達してしまっていた時、この一文が自分を肯定してくれたようで救われました。そこから何年にも渡り刻苦する羽目になるのですが、それでもこの生き方が私に一番合っていると思っています。自分が求めていた茫々とした思念を、この短い一文に見つけて感動しました。「いい歳して」する「必死の努力」に対する漠然とした恥じらいを払拭できた言葉です。まぁ、今となっては20代半ば~後半なんて「いい歳」でも何でもないですけどね。(遠い目)
 
この物語は続編の『冬虫夏草』と、作中にも登場するドイツ留学中の友人 村田を主人公とする『村田エフェンディ滞土録』があります。
冬虫夏草

冬虫夏草

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2013/10/31
  • メディア: 単行本
 
村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2007/05/25
  • メディア: 文庫
 

 冬虫夏草は勿論のこと、村田エフェンディ滞土録も話の繋がりがありますので併せて読むと非常に面白いです。家守綺譚→冬虫夏草→村田エフェンディ滞土録の順で読むと伏線回収出来る感じでしょうか。この、続編 冬虫夏草もさることながら村田エフェンディ滞土録も少し雰囲気が変わって読み応えと感動があり最高なのですが、脱線どころの話じゃなくなるのでまた別の機会に。

あぁ、梨木先生。どうか冬虫夏草の続編を…何年でも待ちますので…。
 
 
さて。今日を入れてあと3日間、東京都民にはおこもり要請が出ておりますね。
勉強と読書と映画で余裕で時間は潰せちゃうのですが、この狭い1Kの部屋に96時間籠城するっていうのも客観的に見ると若干の恐怖を覚えますね。まぁ、恐怖を覚えながらも気づいたら90時間くらい経ってて「明日仕事だから寝るか」って言って眠りにつくんでしょうけど。自分の適応能力の高さが1番怖いです。
まぁとりあえず、いい1日になりますように。

夏の進軍を待つ

曇天が続いて、肌にしっとりと梅雨の残党がへばり付いています。
もうじき、夏が隊を組み梅雨の前線を蹴散らしながら進軍を始めるでしょう。
季節はいつも通り移り変わり、私たちの揺れ動く生活の上を過ぎていきます。
 
ほんの数ヶ月の間に、世界が大きく変わってしまいました。
 
後に語り継がれるであろう歴史的パンデミックの時代に生きていること、そしてこの後大きな変革期に突入するであろう社会を生き抜いていかなければならないこと。
今までリスクヘッジを取るための概念に近かった自分の人生「観」を、現実味を持った仕様書にしていかなければならない焦り。
何を思うか、何を感じるか、どんな発言をするか、どんな行動をとるか、そして何を信じるのか。
全てが徹底的に「個人」に委ねられた、と私は感じています。
 
人間の差別的な部分や歪んだ自尊心、崩れた秩序や暴力的正義。今まで世間体や常識で蓋をされていた本質、度を越えた批判や排他的思考。
今まで、どこかしら平和な日々の中で、産声をあげた瞬間から用意された安全と秩序と常識を享受し、なんとなくの普通となんとなくの安心に包まれた状態で時間が流れていました。生きる中で降りかかってきた数多の悲しみや絶望はあれど、それは個人レベルの問題であって、今のように自分が立つ足元の根底、酸素のように当たり前に存在していると思っていた核が、もう既に無きものであったことに気付き始めた、こんな底冷えするような不気味さを味わったことは一度もありませんでした。それは突然現れた脅威が気付かせた、すぐそこにあった異変。そこはかとないキナ臭さ。正に「其処は彼と無い」。
 
都会のことも田舎のことも、色々なことを見聞きしました。この僅か数ヶ月間の間で。
身動きが出来ず、得体が知れず、先が見えない中で、負の感情に埋もれました。
自分の中にある禍々しいものが疑念と恐怖と怒りを餌に増幅してくるようでした。
這う這うの体で抜け出してみて結論したことは、結局、人は多くのものに関わる事なんて出来ない。個人でしかないということ。
理想論と持論をあべこべにして、綺麗事と自分事を一緒くたにしてみても、小さく微力でしかない。自分を過大評価するから、気に入らないものに怒り、違いを見つけて突き、膨れ上がった自己愛を正義に変換して鎌を振り上げるんだなと。私たちは所詮、ある程度の集合体で協力し合わなければ二進も三進も行かない微弱な存在なんだとなと。
よくよく考えてみれば、人は普通の日常の中でさえ、あれやこれやと言いながら思いながら生きている。未知の脅威とかそっちのけにしても、今日1日だって、失礼なことを言われて腹を立ててみたり、あぁもっといい方法があったのではと落ち込んでみたり、なぜ自分はこうなんだと自責の念に駆られてみたりもした。小さな細切れのような思念を数珠のように繋ぎ合わせて日々が出来上がる。所詮、自分のキャパの許す限りの感受性で出来上がる世界でしかない。小さな個人でしかないのだと結論しました。なんだか自己中心的結論のような気がしないでもありませんが。
 
明日明後日明々後日、どこまでも不明瞭です。
その中にあっても、私は今この街にいる自分に満足しこの生活を選んだことに一握の後悔もありません。「仕方がないこと」が溢れているのが日常で、受け入れて自分の人生の時間を上手に使っていかなければいけない。負の感情やマイナスな行動に時間を費やす時間的余裕はもう無いんだろうと思います。自分のために、自分が関わる僅かな世界のために何が出来るのか。
命がけで現場に立ち続ける医療従事者・エッセンシャルワーカーの方々に、今この瞬間も尊敬の念が絶えません。私に何が出来るのか、私なんかに何が出来るのか。その答えがないまま、あらぬ方向の怒りや批判にベクトルが向いていました。冷静に考えれば、このしがないOLに出来ることなんて大して無くて、自分の行動に気を付けるとか通勤を可能な限り減らせるテレワークの充実化とか、至極真っ当な超現実的社会的な行動のみでした。私は今この時代を一生懸命生きる。それ以上でも以下でもありませんでした。
個人が関われる僅かな世界のために。その連なりが社会であると思うのです。
 
あと数日で、ひとつ齢を重ねます。私はこの時代を生きていくうちの1人です。
目の前に並ぶタスクが少しずつ変化を遂げてきています。この年齢の私に与えられる課題とチャンス。
自分の普通の生活と、脅威との共存が隣り合わせにある。今までと同じには戻れない、本当に新しい時代が必然的にスタートしてしまいました。
「個人として考える」ことを今まで以上に意識して、毎日を送りたいです。…あくまで理想です(本音)
 
 
元来夏嫌いの夏生まれでしたが、今はただ、突き抜ける夏空を待ち焦がれています。
露に湿った曇天を蹴散らし力強く進軍する、夏の隊の来訪を。

晩夏の入口

 2020年。
30代前半と呼べるのもあと少しとなりました。
 
先日読んだ本に載っていた、英文学者 福原麟太郎という方のエッセイにある「四十の歌」の一節。
四十の歌は秋の歌である、蕭条として心が澄んでくる、あきらめのすがすがしさを身にしみて覚える。(中略)
天の定め給うたおのれの職分と、それに対する配分とは、これだけだったのかという見極めがつく、なにしろそれで落ち着いてくる

 

今、私の到達したこの30代の折り返し地点手前。季節で言うならば、晩夏へ差し掛かる頃でしょうか。

エネルギーに富んだ季節の終わり、目に映るものが同じようで違う、少しずつ濃く深くなっている毎日の景色。
重ねた年月を枯れゆく秋冬に例えることを不快に思う方もいるでしょうが、私は抜け出せぬ春も思い出に昇華できぬ夏も魅力を感じません。
実り多き秋、静寂に包まれる冬は、大人の世界。その世界観に合うように、自分を年相応の魅力をもった大人に変化させていきたい。
 
ここは、そんな風に考えながら、都会の片隅でひっそり暮らす女が散文を書き散らかすブログになる予定です。
 
珈琲と酒とevian、本と映画、簿記と猫と植物。
そして、煌びやかではなく、普通に暮らす、東京が好きです。
20代後半で上京してからずっと、特に何が起こるでもない普通の日々でも、全方面から見て多様性のあるこの場所が好きです。
 
昔からブログという空間に色々な感情を吐き出してきたのですが、ここ数年余裕がなく更新していませんでした。
自分の納得するような文章を好き勝手作って、自分のありふれた毎日の出来事や心情をそれっぽく書くことで自分の内面の整理をしていました。自己満足の極みですが、自分の日記にしまい込んでおくのとは似て非なる習慣を再開させようと思います。
 
 
とりあえず、澄んだ心持で秋を迎えられるように残り少ない夏を駆け抜けていく所存ですので、当ブログご贔屓いただければ幸いです。
そういうことで、よろしくお願いします。