西へ向かう

 
生かされていると思う。
生きているというより、生かされていると。
蜘蛛の糸が首の後ろからのびていて、上から吊るされているように思う。糸の先にはいつも、祖父を感じる。この世界の繋がり、蜘蛛の糸を自ら絶った彼によって私はこの世界に生かされている。オカルトでも神格化でもなく、自分の身の回りに起こる事象の中で実感する。
寿命まで、生きる喜びを、死なない理由を、這いつくばってでも見つけ続けることを課せられている。まだ駄目だと声が聴こえる。
 
西へ行きたいと願った矢先、灯台の灯が道を照らした。道の先から、渡っておいでと声が聞こえる。行き着く先がそこでなくても、眼前には紛れもなく新しい道が現れている。
 
祖父は名古屋で逝った。
最期へと向かう時間の中、どこを歩いたのだろうか。少し足を伸ばして他の地を踏んだのだろうか。それとも名古屋の街を彷徨い歩いたのだろうか。どんな景色を見たのだろうか。車窓に、ホテルの窓に、瞑った瞼の裏に、何を。
思いを馳せずにはいられない。会ったことすらない人。それでも強く感じる人。
なぜ、こんな景色を見せてくれるんだろう。見たかった世界を、私を通して見ているだろうか。
 
私は祖父のように多くを抱えていない。
内界を優先し、限られたものしか持たない。
1人の未来を見つめる。
例え傍らに他者が在ろうとも。
 
1人生きていく地が、また移り変わるのだろうか。どこに流れ着くんだろう。根無草よろしく漂い続けて、枯れるまで土を夢見続けるのだろうか。
 
人生の折り返し地点を曲がろうとしている。
内側から欲する地に自分の人生の駒を進めようとする緩流が、足元に起こり始めている。
 
「次に来る波をむかえにゆきなさい尾を高くしてわたしのけもの  村上きわみ」
 
 
西に向かう新幹線でこれを書いている。
もう直、名古屋を通り過ぎる。
空は灰色の曇天。予報では今日、雪が降る。