肥大化する

短命だった梅雨が終わり、燻ぶるように続いた雨が上がり、夏の後ろ髪を残しながら中秋の名月が昇った。
残暑と呼ぶには夏色が些か濃いような気がするが、日が落ちてから吹く風はススキのさざめく音がするようで。
季節が、容赦なく進む。
 
ここ1ヶ月ほどの間、生きることの難しさと単純さの狭間でかつてないほど揺れ動いた。
 
未だに曖昧な日々を過ごしている。
「これでいいのだ」と「これでいいのか」のせめぎ合いを、眼鏡を外したぼやけた視界で見やりながら、眠りで蓋を閉じるような日々。
ブヨブヨとした球体の中に、少し酸素の足りない状態で寝転がっているような感覚。明日の自分を緩やかに削りながら浅い呼吸をしている。
 
それでも、日常は奇跡に満ちている。
驚くほど、俯瞰的に見た世界は順調に進んでいる。
こんなにも全てを曖昧にして、己への責任を緩やかに放棄し、それでいて如何なる飢えもない。
 
これが「普通」の世界なのかもしれない。
涎が滴るようなハングリー精神を持たなくても飢えない。足りないものが何もない。
 
満足が膨張している。
惰性と怠慢と諦念が肥大化して飲み込まれそうだ。
膨張して自分の足元が見えないから、周囲の有象無象に意識と感情を持っていかれる。
何にも集中できない。集中していなくても十二分に肥えているから。私は私が飢えないことを既に知っている。
飢えることに怯えながら、心の底では肥えた自分に満足している。
 
どうやって抜け出せばいいのだろうか。
私は今、紛れもなく、自分のアイデンティティが存在しない世界にいる。
 
2ヶ月前、茹だる様な暑さの中、琵琶湖の畔で36歳の誕生日を一人迎えた。
36歳はこういう年齢なのか。
今までのどの年齢とも違う。成長痛とは違う鈍痛が、私を覆っている。