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この1ヶ月の間に、恩師が2人、立て続けに亡くなった。
 
1人はちょうど1ヶ月前。
第一線で長年活躍していたカメラマンで、上京する前後、私の知らない世界を見せてくれた人。
 
1人は昨日。
1年だけ通っていた全日制の高校の教師。私に学問を続けるよう導いてくれた人。
身長が2m近くある体育教師で、陸上で日焼けした肌は浅黒くて、阿部寛を強面にしたような顔で、常時「無敵」の二文字が背後に浮かんでいるような人だった。
 
この年齢になればお世話になった方が亡くなることもあるんだろう。わかってはいても、悲しみに似た重く苦しい感情が拭えない。
特に今朝聞いた恩師の訃報は、きつかった。今日が在宅勤務で良かったと、心底思った。
 
16歳で社会に出ることを決めた私は、恩師の勧めで通信制の高校に転入した。
転入という形を取ることに意味があるのだと、退学じゃないんだと言ってくれた。
勉強を続けろと、ちゃんと見に来るからなと、報告しにいつでも来いと言ってくれた。
5年近くかかっても何とか卒業できたのは、先生との約束を果たすという裏テーマが褪せることなく胸の中にあったからだと思う。
 
中学の時に随分と素行が悪かった私を、たった1年しか生徒でいなかった私を、その先数年に渡って気にかけてくれた。
最後に会ったとき、素敵な女性になったと言ってくれた。田舎の陳腐なアパレル店で、今思えばどうしようもない会社で、大したことのない仕事で、ろくでもない生活をしていた私を、頑張っていると褒めてくれた。きっとあれは、素行が悪く中途半端に目立つ田舎の女子高生が高校を辞め、それでも水商売に行かず地道に働いてることへの誉め言葉でもあったんだろうと思う。ドロップアウトしても、レールの上を走る皆が見える場所から、砂利道の上を転びながら並走しようとする私を褒めてくれたんだと思う。
 
 
先生、わたし今、東京にいるよ。
ちゃんとした会社に入れたよ。先生も驚くような大きい会社で、今までの生活が嘘みたいな、ちゃんとした生活を送ってるよ。
煙草も金髪も濃い化粧もやめたし、酒も飲み過ぎないようになったよ。
経理の仕事をしてるよ。大好きだった数学みたいに、毎日数字と向き合ってるよ。
先生のいた高校卒業できなくて、大学にも行けなかったけど、きっと全部うまくいってたとしても、今のこの道を歩んでると思えるよ。
先生に知られても恥ずかしくない人生を、生きてるよ。
 
 
あの人は私のヒーローだった。
たぶん、私以外の誰かにとっても。たくさんの人にとって。
それって紛れもない本物のヒーローだと思う。
 
先生、安らかに。ゆっくり休んで。お疲れさまでした。
先生、私のこと忘れないで。私は一生忘れない。おばあちゃんになっても、絶対に忘れない。
ありがとうございました。本当にありがとう、岩井先生。